第10章:人に何かを伝えるということ

その後も紆余曲折あり、派遣社員として私立大学の広報部門で働いたり、人材サービス業界で広告プロモーションの仕事を担当したりしましたが、どこに行っても私の興味関心はただひとつでした。

広報誌やプレスリリース、ホームページや広告などの媒体・資料を通して、「こちらが伝えたい情報をどのように伝えたら、相手はこちらの意図どおりに受け取ってくれるか?」、さらには「行動してくれるか?」にありました。

会社員として過ごした最後の会社では、ある企画を通そうと「めちゃくちゃ頑張ってつくった10ページものの企画書」を提出したら玉砕したのに、「たった1枚の手書きの図」を見せたところあっさり承認をもらえた…ということがありました。

多忙を極める社長に承認をもらうために必要だったのは、「膨大な情報を盛り込んだ企画書」ではなく、パッと見て判断できる「ビジュアル化された1枚の資料」でした。

その情報を手渡す相手がどんな人で、どんなシーンでその資料を見てもらい、どんな行動をとってほしいのか。資料づくりにはそんな「相手の目線や立場に立ってつくること」が何よりも重要だということを痛感したエピソードです。

ちなみにこの会社では、あるとき社外向けに配布する小冊子を制作するプロジェクトメンバーになり、私が制作ディレクションとライティングを担当することがありました。

会社の新サービスを紹介し啓蒙するためのツールだったのですが、この仕事は、私の社会人生活の中でも、一位二位を争うほどのプレッシャーがのしかかるものとなりました。制作過程は大困難を極め、今振り返っても心臓がバクバクするほど、難しくて大変で本気で死ぬんじゃないかと感じた経験となりました(大袈裟ですが…!)。

ですが、ひとたび小冊子が完成すると、それを営業マンが嬉しそうに配布する姿や、お客様が楽しみながら読んでくださる様子に触れて、とてつもない喜びと大きな達成感を感じることができました。

しかも、このプロジェクトでは「社長賞をもらう」というオマケまでつきました。私にほんのり温かな自信を感じさせてくれるとともに、ボワっと熱い想いが湧きあがる瞬間でもありました。

いざ、大陸から海へ!

さて。海外を転々とした幼少期、会社を転々としたサラリーマン時代を経て、ついに私は気づいてしまいます。「私のこの働き方、もはや会社員ではいけないのでは?」と。13年目にしてやっと気づいたことでした。

就職活動をしていた頃に、おぼろげながら「いつかは組織に属さずに仕事がしたい」と思っていたのと、「もう会社員として経験できることは、すべて経験した!やりきった!」と思えるくらい、いろんな会社でいろんな経験をさせてもらったので、とても自然な流れで会社員を卒業する決意ができました。

こうして私は、「会社」という大陸を離れ、「フリーランス」という大海に一人漕ぎ出でていくことになりました。その海は、広くて自由で空気がたくさんあって、中学生で日本に帰国して以来ずっと囚われ続けてきた「見えない何か」から解放された気分で、じっくりとじんわりと本来の自分を取り戻していくような時間でした。

ですが、そこは何が起こるかわからない海で、会社員時代の同僚のような仲間もいません。一人ポツンと凪に漂ってしまうこともあれば、ときに大嵐に巻き込まれ遭難寸前のこともありましたが、2年をかけて、自分が気に入った海を見つけ、そこに自分が暮らしやすそうな自分の島をつくることができました。

そこに『感動教材プランニング』という旗を掲げたところ、次第に講座やセミナーをビジネスにしている方が訪れてくれ、講座で使う教材についての相談を受けるようになりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

これにて、感動教材プランニングのルーツをご紹介するエッセイは終わりです。

少しでも、私のことを知っていただき、感動教材プランニングの奥底に流れるストーリーを感じていただけたなら幸いです。

 

今なお変化(願わくば進化)し続ける私の教材制作ですが、これまで教材と過ごした多くの時間や、教材への熱い想いを大切に、これからもより良いサービスを提供できるよう努めてまいりたいと思います。